2020年4月、コロナ禍の真っ只中にホーチミンから日本へ一時帰国した。Tân Sơn Nhất(タンソンニャット)空港は人影もまばらで、いつもの喧騒が嘘のような静けさだった。あの時の体験を記録として残しておこうと思う。
出発 — Tân Sơn Nhất(タンソンニャット)空港へ
まずホーチミンでハプニング。空港へ向かおうにもGrabが使えなくなっていて、移動手段がないという事態が発生してしまった。そこで知人に頼み、Facebookでヒッチハイク的に別の知り合いに空港まで送ってもらった。コロナ禍ならではのドタバタだ。
たどり着いたTân Sơn Nhất(タンソンニャット)空港は、驚くほど閑散としていた。


普段なら長蛇の列ができるチェックインカウンターもガラガラ。空港全体に「非日常」の空気が漂っていた。
空港ラウンジも貸し切り状態
ラウンジに入ると、ここもほぼ無人。いつもなら席を探すのに苦労するラウンジを、まるまる独り占めできてしまった。贅沢といえば贅沢だが、この状況を喜ぶ気にはなれない。


JALで帰国 — 機内食にホッとする
搭乗したのはJAL便。機内も乗客はまばらで、隣の席も空いていた。機内食を見た瞬間、なんだかホッとしたのを覚えている。ベトナム料理も大好きだけど、こういうタイミングで出てくる和食は格別だ。

日本到着 — 入国後すぐ隔離へ
日本に到着すると、即座に隔離の手続きが始まった。14日間は公共交通機関の利用が禁止され、PCR検査の結果を待つことになる。
結果は陰性。そこから自衛隊のバスで都内のホテルへ移動した。政府の対応は徹底していて、きちんとした体制が組まれている印象だった。
隔離中の食事は、豪華とは言えないものの、きちんとしたものが出てきた。文句は言えない。むしろ、こうした状況でも食事が提供されることに感謝だった。

ベトナム上空からの景色と、あの頃のホーチミン
機内から撮ったĐà Lạt(ダラット)上空の写真を見返すと、コロナ禍なんて関係なく地球はそのまま回り続けているんだなと感じた。人間がどれだけ騒いでも、自然はいつも通りだ。

あの頃のホーチミンは、街全体が静まり返っていた。いつも賑やかなBùi Viện(ブイビエン)通りも、レタントン通りのカラオケも、7区のマッサージも、すべてがシャッターを下ろしていた。次にベトナムに入国できるのはいつになるのか、まったく見通しが立たない時期だった。

2026年の今、ホーチミンの夜はすっかり活気を取り戻している。あの静かだった街が嘘のように、Bùi Viện(ブイビエン)通りもルーフトップバーも毎晩賑わっている。あの時期を経験したからこそ、今の活気がより一層ありがたく感じる。
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情報確認日:2026年3月








